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ポール・ハリス・フェローメダル購入方法について
2009/11/07(土)

ポール・ハリス・フェローメダル購入方法について


 2009-10年度よりポール・ハリス・フェローのメダルが有料($15)になりました。
ご購入を希望される方は他の資料と同様に前払いにて資料室(tel:03-3903-3194・fax:03-3903-3781)よりお求め下さい。
ご注文の流れは下記の通りです。

1.電話、FAX等、ご都合の良い方法でご注文下さい。
2.在庫確認後、折り返し、請求額と振込口座をご連絡申し上げます。
3.入金確認後、領収書を同封して、発送させて頂きます。

至急のご入用の際には、ご注文の際にお知らせいただければ幸甚です。
以上、よろしくお願いいたします。
国際ロータリー 日本事務局
財団室 永渕孝久
tel.03-3903-3192 fax.03-3903-3781


その他 | コメント(0)2009/11/07(土)17:06

高野山とロータリーの森へ
2009/10/29(木)

第13回歩こう会 高野山とロータリーの森へ

2009.10.25


 曇り空、暑くなく寒くなく歩くには最高の天気。しかし参加者は雨具完備。
橋本駅での50分近い待ち時間は長い!! 漸く観光列車“天空”がホームに入った。
グリーンの車体に赤いライン、そして“天空”のプレート。電車で高野山に参拝するのは初めてだし、天空という列車が存在する事も。パンフで見ていた豪華な車内……う〜ん少しイメージが! 車窓が大きく眺めが良いが、この時季見るものが無い。桜の頃がお奨めかも。

 九度山近くになると柿の産地らしく収穫のしやすい背の低い柿の木が広々と続く。
電車は次第に右に左にとキーキーと音をたてながら蛇行し、喘ぎながら登ってゆく。
そして23本のトンネルを潜り抜けると麓の極楽橋、ケーブルへと乗り継ぐが、急な勾配を一直線に登るケーブルは車内の階段も急だ。10分も必要とせず到着したが、ケーブルを降りて昇る階段が妙に歩きづらかったのは何故だろう? 狭い駅前はバスターミナル、マイクロバスが送迎のために待って頂いている。それは高野山RC会員の中本名宝堂さんの好意だった。
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 高野山口大門に下車、立派な山門でこれよりお参りする気構えが生じさせた……が、とりあえず昼食にしょうか! 高野山料理“花菱”で食事、その席はRCの例会場との事で、自分達だけなのに少し緊張気味? 美味しく頂いたのに動く気配なし。花菱のご主人のご挨拶を頂きようやく出発。奥の院に向かって歩くんですヨ〜!
  
 
 所々に見せる紅葉が美しく楽しませてくれる。武田信玄、上杉廟、平敦盛、浅野家四十七士と名を惜しんだ武士たちの墓碑が続く。ほどほどの観光客の流れが参道両脇の全てのものが大きく浮かび、墓碑だけでなくびっしりとそびえ立つ杉の一本一本にも見るものがあった。伊達政宗、薩摩島津家、石田三成、明智光秀、徳川秀忠夫人と千姫、加賀前田家と大きな墓碑を眺めつつ、歴史絵巻を楽しんでいる間に奥の院に着いた。
一際赤く明るい所が目に写る、左右から見事な紅葉が参道を覆っている。全員で一枚パチリ!!
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 中の橋の駐車場から再びバスに乗り込んだ。疲れたのでは? お茶の時間です。バスのお世話をして頂いている中本名宝堂へ。コーヒーを頂き、お土産タイム。まずは胡麻豆腐、そして墓参りの必需品ライターカバーを買い求めた。

 そして再度に乗り込んだ。そうです、もう歩かないのです。4kmも歩いたから!
これより“ロータリーの森”視察へ。立派な碑が3ッもあったが森全体が解らない。植樹の年数から計算しても未だ若木は理解できるが将来の森の姿が見えない私でした。

 高野山駅で送迎バスのお礼を申しあげ、ケーブルカーに乗り込んだ。そして極楽橋から通常の特急で堺東へ。橋本を過ぎた頃より日は落ち、引田さんが金剛で降りた頃はネオンの街になっていた。とは云え時間は早い、す〜と帰ったかナ。堺東を降りると小雨、向いの楓林閣に入り中華料理を頂く事となった。今回の“歩こう会”も使った体力以上のエネルギーを補充して解散しました。今日は優雅にゆったりと紅葉を楽しみ、歴史にも親しみ、贅沢な一日でした。
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富永泰示会員記


お世話になった関係者

高野山RC“花菱”さん・中本名宝堂さん

参加者

浅香 收会員ご夫妻・引田重雄会員・物種利仁会員・中瀬寿隆会員ご夫妻
中田幸一会員ご夫妻・田中正三会員ご夫妻・富永泰示会員・山口恵子会員
山本 久会員・山本勝之会員ご夫妻・中尾好一様・事務局


行事報告 | コメント(0)2009/10/29(木)16:33

例会報告
2009/10/28(水)

2009.10.26第2338例会

THE FUTURE OF ROTARY IS IN YOUR HANDS
ロータリーの未来はあなたの手の中に


◎ロータリーソング   「堺南ロータリーソング」 「荒城の月」                               

◎皆勤者表彰   25年 池中徳治会員 ・21年 山本 久会員・ 12年 浅香 收会員
            10年 山口恵子会員 ・ 5年 中瀬寿隆会員・ 3年 南 延弘会員 

◎インフォメイション   規定委員会より     堀内規定委員長
    ポール・ハリスと“I will”の精神
      ロータリーが誕生した20世紀初頭のシカゴの町は、善と悪とが入り乱れて
    争っていた。このシカゴを理想的な都市として建設しようとする市民精神の
    風潮をポール・ハリスはI willの精神と呼んだ。
    それはまたロータリーの精神であると、著書「ロータリーの理想と友愛」において
    述べています。この本には米山梅吉氏が早くも1936年(昭和11年)に和訳
    されました。以下に標題に関係する部分を紹介します。節の区分、タイトルは
    引用者が仮につけたものです。
    ロータリーの理想と友愛
     1.ロータリーの誕生
     プラトン哲学と同じく、ロータリーは現在の場所および現今の時代とに関心をもつ。
    1905年2月23日は実に心理的な日であった。当時のシカゴでは正義の力が
    邪悪に向かって激甚な戦いを挑み、社会の大渦巻が白く沸騰していた最中で、
    ロータリーが生まれるのにもっとも適していた。(286ページ)
    
 2.ロータリーの世襲財産
     何故にロータリーは1905年に現われたのか。思うに社会運動もまた個人と同じく
    遺伝と環境との法則に従わなければならない。ロータリーは寛大という大精神を
    つたえ、I Willというシカゴ魂をついだが、二つながら共に多くの人々に間に伝わる
    無形の世襲財産である。
    国際ロータリーの会長や役員、ガバナー、クラブ会長は、一人としてその痕跡を
    世に残さないものはない。個々の会員は代る代る環境とともに遺伝の所産である
    から、1905年シカゴにロータリーの起こった所以を知るためには、さかのぼって
    歴史を回顧しなければならない。(285ページ)
     
3.シカゴ伝来の精神
     当時は腐敗した実業社会と有効に戦うだけの商業会議所などの組織はいまだ
    見られなかった。わずかに信用業務に従う人々の協会のようなものがあったが、
    これまたただに消極的自衛を目的とするものに過ぎなかった。しかしこの間にも
    一つの見すごしてはならぬ勢力があった。
    市民の胸中にひそむシカゴ伝来の“I Will”の精神これである(428ページ)
     4.“I Will”の精神
     シカゴのいわゆる“I Will”の精神とはそもそも何か。「第一回シカゴ万国博覧
         会」の建設者であり「シカゴ市美化計画」の設計者である不朽の名匠ダニエル・
    バーナムは答える。
     「計画は小さいものであってはならない、小さい計画は人々の血を沸かすに
    足らない。 また恐らく実現もしないだろう。計画はぜひとも遠大なものであるべき
    である。  宏壮な論理正しい設計図は一度描かれたら決して死滅しない。
    設計者の後に残ってさらに切実さがますことを願って、ぜひとも希望と実行の高遠
    なものを期すべきである。
     われわれの子孫はさらに大いにわれわれを驚嘆せしめる何事かをなすもので
    あることを忘れてはならない。汝の座右銘を正せ、汝の警標識を明らかにせよ。
     (50ページ)
             
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moto

◎卓   話      「中学校のいま・むかし」
                   広瀬 龍様    (紹介者  山本 勝之)
                今日は私の中学時代の恩師、広瀬 龍先生をお招きしてお話を聞くことが出来
             ました。  電話で卓話をお願いしたところ、2つ返事でOKでした。 又、教育
     委員会の学校指導課では校風を高める生徒指導に力を注がれ、そして原山台
     中学校長を最後に退職されました。現在は、俳句と囲碁を楽しむ毎日を過ごされ
     ております。
     
     『中学校のいま・むかし』を題にしてお話をお聞きしていますと、50年前の事が
     走馬灯のように頭にうかんできて懐かしい中学生時代に戻る事が出来ました。

       先生のお話は
          ・親と学校の信頼関係
          ・先生も生徒も親も学校に誇りを持っていた
          ・空気を吸う様にあたり前のことをあたり前にすることを
            自然に身につける

      ということでした。    これは、私が子や孫を通して感じている疑問や空白に
     ピタリと当てはまるもので、これからの私の人生のベースにしてゆきたいと
     思っています。

       先生と三人の同期生に感謝いたします。 
                  PA260014.jpg PA260020.jpg                              
    

 

 

 

 

 

 

 


例会報告 | コメント(0)2009/10/28(水)18:07

中島 敦と「山月記」
2009/10/20(火)

『中島 敦と「山月記」』


堺南ロータリークラブ 米山奨学生 趙 楊さん


中島 敦(なかじま あつし)
1909年−1942年。小説家。東京生まれ。1933年東京帝国大学国文科卒業。横浜高等女学校の教師となる。41年南洋庁の教科書編集書記としてパラオへ赴任。42年「山月記」の発表によってはじめて注目される。42年3月南洋群から帰京、作家になる決意をし、「弟子」「李陵」などを書き、7月に『光と風と夢』、11月に『南島譚』を刊行するが、12月4日持病喘息によって死去。

 星がいっぱい輝いている昭和文壇において、33歳の若さで亡くなった中島敦はまるで流れ星のような存在です。そういうわけで中島敦の作品はそんなに多くはありません。谷崎潤一郎や川端康成のような老大家の作家の数十巻もある全集と比べると、わずか三巻の作品を残しました。数こそ少ないですが、どの作品も芸術性豊かな傑作です。その中で長年高校生の国語の定番教材として使われている「山月記」という作品が一番有名です。

 「山月記」は中国の古典から題材を取った作品で、舞台はおよそ1300年前の中国の唐の時代です。主人公の李徴は、優れた才能を持つ秀才でした。若くして政府の官吏登用試験−科挙に合格し、役人になりました。しかいプライドの高い李徴は、役場の雰囲気に簡単に馴染めず、すぐに役人を辞めてしまいます。

 故郷に戻った李徴は、家に引きこもってひたすら詩を書きます。詩人として後世に名を残すことを強く望んだのです。しかしなかなか名を挙げることはできず、生活は日に日に苦しくなっていきます。

 数年の後、李徴は生活のため再び地方の役人になりました。かつての同僚は既に遙かに高い地位にのぼり、昔バカにしていた人の命令に従わなければならないことが、李徴のプライドを深く傷つけました。一年後、彼は出張先で突然発狂して、そのまま姿を消しました。

 李徴が行方不明になった翌年のある日、袁偐という役人の一人が、月明かりのもと、林の中を急いでいました。そのとき、一匹の虎がいきなり襲いかかってきました。しかし、袁偐を認めた途端、虎はたちまち身を翻して、もとの草むらに隠れました。

 この虎こそ、李徴の変わり果てた姿でした。袁偐が昔の友達であることが分かったので、襲うことをやめたのです。

 心を許し合った友達に、李徴はこの一年間の事を語り始めました。
 
 何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受け取って、理由も分からずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。

 虎となった今の境遇に、李徴はもう半ば絶望します。しかし、彼には一つだけ心残りがありました。それは、自分がかつて作った数百首の詩のなか、まだ覚えている一部を後代に伝えることです。それで虎になる前に作った詩を袁偐に語り、記録してもらいました。人々はもはや事の奇異を忘れ、皆粛然としてこの詩人の不幸を嘆きました。李徴は再び言い続けます。

 何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考へように依れば、思ひ当たることが全然ないでもない。人間であった時、己は努めて人との交を避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、曾ての郷黨の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所爲である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢えて刻苦して磨かうともせず、又、己の珠になるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することもできなかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙意とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に甞るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。之が己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形を斯くの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。

言い終わって、草むらのなかから慟哭の声が聞こえてきました。袁偐も涙を流しました。最後に李徴は、故郷に残した家族の世話を頼むと言い残し、袁偐の前から姿を消します。

 一行が丘の上についた時は、彼等は、言われた通りに振返って、先程の林間の草地を眺めた。怱ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。

 以上、一部を原文を引用しながら「山月記」のあらすじをご紹介しました。漢語的表現が多い難しい文体ですが、頑張って読んでみたら、必ず少なからぬ感動を覚えます。

 中島敦の奥さんは中島が亡くなった数十年後の回想文に、このようなエピソードを記しています。「ある日、今迄自分の作品の事など一度も申したことがありませんのに、台所まで来て、『人間が虎になった小説を書いたよ。』と申しました。その時の顔は何か切なさうで今でも忘れることが出来ません。あとで、『山月記』を読んで、まるで中島の声が聞こえる様で、悲しく思いました」。

 中島家は代々儒家の家柄であり、幼い時よりの漢字の素養が結実したのが、「山月記」や「李陵」、「弟子」など中国の古典から題材を取った作品群ですが、中島敦の優れた才能は決して古典だけに限っていません。朝鮮で6年間生活していた少年時代の経験をもとに書いた「虎狩」や「巡査の居る風景」、最晩年滞在した南洋群島を舞台に書いた『南島譚』など、中島敦は現実にも目を向けています。昭和十年代という歴史激動期を活躍し、良識のある知識人の一人として時代と真摯に向き合った中島敦は作家になろうと決意したその年に、喘息の発作で33歳の若さで亡くなりましたが、彼の作品から、私は不滅の魂が感じられます。

 2009年の今年は中島敦の生誕百年ですが、同じ年生まれの太宰治の眩しすぎる輝きに完全に圧倒されてしまい、ほとんどメディアでは取り上げられていませんでした。少し寂しいですが、私は相変わらず中島敦の作品を通して、文学の美しさを感じ、また、人生の奥深さを追求していきたいです。

※ 「山月記」の原文引用は文庫版『中島敦全集1』(筑摩書房 1993年)に拠る。 
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卓話活動 | コメント(0)2009/10/20(火)10:24

金沢南ロータリークラブ 表敬訪問 
2009/10/19(月)

 2009. 10.19 第2337例会


THE FUTURE OF ROTARY IS IN YOUR HANDS
ロータリーの未来はあなたの手の中に


◎ロータリーソング   「我等の生業」 「創業祝福の歌(第一)」

◎創業記念日お祝い   三浦 勝彦君・山口 恵子君・山本 久君

◎入会記念日お祝い  浅香 收君・藤井 定雄君・池中 徳治君・北庄司清子君
                南 延弘君・中瀬 寿隆君・山口 恵子君・山本 久君
                                                         
◎インフォメイション   金沢南ロータリークラブ  津田幸夫会長 
                   PA190041.jpgPA190043.jpg PA190052.jpg

◎幹事報告

◎SAA報告  
       ≪ニコニコ箱≫
        金沢南RC様−−ニコニコボックスへ。
       山本 久君−−−小生の創業記念日、入会記念日お祝いいただき−−−
                                金沢南RCより遠路はるばるお越しいただき−−−−−
        山口 恵子君−−創業記念日、入会記念日お祝いいただき−−−−−
       池中 徳治君−−入会記念日をお祝い下さいまして有難うございます。
                    金沢南RCの皆さまようこそ
       中瀬 寿隆君−−入会記念日をお祝い下さいまして−−−
                   金沢南RCの皆さまのご出席に感謝−−
                   前回例会欠席お詫びいたします。
       浅香 收君−−− 入会記念日をお祝い−−−
                   金沢南RCより遠路来て頂き−−−
       南 延弘君−−−入会記念日をお祝い−−−
                   金沢南からお越しの津田様、松本様、北様、三好様、
                                             山内様を歓迎して
       中田 幸一君−−金沢南RCの皆さまようこそ
       富永 泰示君−−金沢南のご訪問を歓迎して
       松本 義彦君−−新会員の松本です。右も左もわかりませんのでどうぞ宜しく−−−
                   明日は晴天となりますように。
       谷口 明君−−−金沢南RCの皆さま遠路有難うございます。
                   先日の欠席申し訳ありませんでした。                      

◎卓   話      『中島 敦と「山月記」』      
                      堺南米山記念奨学生  趙 楊さん 
        PA190048.jpg
                             内容に付きましては後日卓話活動に掲載致します。                                                                                                                                                                              

                     


例会報告 | コメント(0)2009/10/19(月)13:24

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